私にできる事
熊本の震災の事も、名古屋にいると忘れてしまいそうなほど熱が低い…。
心の中がモヤモヤするものの、大した事 何もできない自分もいる。
先日もご紹介させていただいた阿蘇の大野勝彦さんの美術館の事が気になり、
行きたいけれど行ってもたどり着けない様だし、何もできないし、と堂々巡り…(。-_-。)
と思っていたら、尊敬するA様のメルマガにこんな記事がありましたので、
シェアさせていただきます。
以下大野さんのお言葉引用します。
「45歳まで両手があったんです。
機械の心棒についていたゴミを取ろうと右手を伸ばして、そのまま手が巻き込まれ、
右手を助けに行った左手も巻き込まれ、さっきまで普通に仕事をしていたのに
「死か」「手を切って助かるか」
手術は7時間におよび、骨が粉々で、ちぎれた手をつなげることはできなかったそうです。
火葬場の慰霊塔で、「お前の分まで生きる」と、
亡骸になった手に向かって、心の中で手を合わせました。
絵を描き始めたのはそれからです。
それまでの私は、詩や絵を描くような人間ではありませんでした。
体が大きく「鉄人28号」とあだ名をつけられるほど力が強くて、
「仕事ができなきゃ男じゃない」と思っていました。
「ありがとう」も人にものを頼んだこともない。
事故に遭う前は、やさしさの世界には住んでいませんでした。
ところが、両手がなくなったら誰かの世話になる以外ありません。
それでも、素直に「ありがとう」が言えませんでした。
人の行為には必ず見返りが求められているものだと思い込んでいましたから。
しかし、自分の立場が変わって、動けない体になって、
相手の思いがわかるようになってきたのです。
何もできないと思い込んでいた3人の子供達が、
病室では明るく振る舞い、廊下では泣いていたことも知りました。
やさしさとは何か、と気付き始めたら、周りの人が、違う人に見えていったのです。
みんなの優しさが無償のものだとわかりました。そんなとき子供達から手紙をもらいました。
「今度の事故でわかったこと。お父さんは強い人です。
お父さんはなくてはならない人です。お父さんは尊敬できる人です」
私の宝物は何ですか?と聞かれたら、間違いなくその手紙だと答えます。
事故にあって、人間として最も大切なものを教えられました。
もっと早く手を切っておけばよかったと思うくらいです。
それから私は笑顔の稽古を始めました。どんなときもニコニコすると決めました。
残った体で人に喜んでもらおうと、はがき絵を描き始め、
講演会にも出かけるようになりました。
一番いい顔でいこう!とニコニコ顏で命がけです。
手を切って5年目には、「10年以内に美術館をつくる」と宣言しました。
なぜそんなことを言ったのか、よくわかりませんが、
自分の意思でそう思ったのではなく、何かの力が働いて美術館をつくるように
なっていたんだろうと思います」(引用ここまで)
とにかく笑顔の素敵な大野さん。阿蘇の風の丘。素敵な風が吹く丘です。
美術館の中には、大野さんが両手義手で書かれた、愛のこもったメッセージがいっぱい
です。 また行きたい!1人でも多くの人にあの聖地とも言える
風の丘に行っていただきたい。と強く思います。
立ち入り禁止になり壊滅状態の風の丘を復活させるお手伝いを、少しでもできれば、と
心から思います!!
風の丘復興にご協力いただける方は、
肥後銀行 松橋支店 普通預金
1921455
名義・風の丘美術館復興義援金
義援金についてのお問い合わせ先は
0964-53-9475
株式会社 大嶌屋(オオシマヤ)担当:永村さん」
「合す手は無くしたけど、神さまに合す顔をなくしたらいかん」
そう言い続けながら生きている大野先生の美術館。
どうしても復興してもらいたいと、心から想います。
強く想い、こうしてブログでご紹介する、コレは私にできること。
ブログタイトルを「テルさんの独り言」にしておいてよかった(笑)
テル