想いを届けるということ

12月21日(月)

今この瞬間も、沢山の命が終わり、そしてはじまっている。

他人事のうちは当たり前のことのように思うけれど、当事者だったら…

当たり前と感じるはずもなく、間違いなく特別な時となる。

時は週末に入ろうとする金曜の午後の事。

お身内にご不幸があった事をお聞きし、これまでの事を少しばかり聞いていたのもあり、

心中お察しするところ、相当お辛いお気持ちでおられるのではと、

ただただ心が痛みを覚えた。

私にできる事…。 私にできること…。 何もないけど何か…。

「 あ、そうだ阿闍梨餅をお届けさせていただこう。」

過去に何度か京都の方からいただいたことがあり、

その名前も味もその縁(ゆかり)も、が どうも私のどこかに響き、

深く浸透し、いつしか目に見えないナニカを信じていたのかもしれない。

「 阿闍梨(アジャリ) 」位の高い僧侶。

千日回峰業などで知られる比叡山。 その比叡山で阿闍梨様方が被られる

綱代笠を象られたカタチのお餅。

辛い修行中、お餅を食すことで修行僧達が耐え忍ぶことができた、と。

修行中の僧侶の耐え忍ぶ活力となった様に、ご加護が届きますように。

『どうかお辛いお心に少しでもあたたかな光が灯りますように。』

『お気持ちが、あたたかさに包まれますように。』

『渇きが潤いに満たされますように。』

名古屋駅のパワースポット♡ストーンの前で、阿闍梨餅と共に祈りを捧げた。

目に見えないけれど繋がっている今にある過去と未来。

どうか、どうか、と祈願したお餅を届ける他、何もできない自分がいます。

阿闍梨餅さん どうか力を貸してくださいね。

そして心からご冥福をお祈りいたします。