2021年3月11日(木)
あの日のこと、あれからしばらくのこと。
誰もがそれぞれの立場で、受けた衝撃を今でも記憶しているであろう10年前の3月11日。
個人的には、ほんの少し前のことの様にも、随分過去のことの様にも、感じつつ。
時の流れとは別に、この度の「ウイルス災害」とも呼べる一連の流れとも、
重なってみえたりもし、自らの思考や感覚を、自らが学び、そして気づき直しを
しているところ、でもあります。
あたしってこんな我儘だったんだ。
言いたい事を少しは我慢せずに言えるようになった、という事かな。
こんな堅物頑固だったんだ。
譲れないナニカが決まった、ということは少しは軸が整いつつある、という事かな。
なっさけないほどポンコツの自分も、どうしようも無くブレブレの自分も、
こう在りたいという理想も。
何よりも自分自身の身体の声に、自分自身がつもりばかりで全く耳を傾けていなかった。
という事に、気づけた2021年3月。
大切な人を、場所を、モノを、返してほしいと想う事もあるだろうけれど。
もしかしたら、
失った分それと同じだけのナニカを、誰もがすでに受け取っているのかもしれません。
私はあの日、名古屋で生涯忘れない1日を過ごしておりました。
直接被災者となった訳でも無いのに、勝手なお話ですが。
10年前の3月に失った大きなものが、今のココへと導いてくれていました。
お役目を果たしたのでしょう、それまでのご縁がスパンと刃物に切り落とされたように次々と
悲しいほど切り落とされた分、想いもせぬ新たなご縁をいただく事となり、繋がりました。
10年前の大きな覚悟と決断があったからこそ、今こうしてココにいる。
昨年3月。
見えないモノの恐怖が日々広がりつつある最中、どうしても気になり観た映画。
(昨年の映画ですが今ミッドランドスクウェアシネマで放映中の様ですよ。)
もう一度、観てこようかな。
『大きな流れの中で、誰かの目に留まらずとも、一滴の雫が、確実にそこに在った』
という事を、一人一人が思い出すべき時なのかもしれないなぁ〜、なんて。
事を思ったりします。
今日、こうして私たちが生きていることはきっと奇跡の賜りもの。
生きられなかった誰かが、生きたかった今日。
全てを背負って、楽しみ、喜びの中で活かされたいものですね。