想いのバトン

校歌を歌う時

先日の参加させていただいた東京衆議院会館での政経塾「Mirai」で、

甲子園のグランドで勝者が歌う校歌のお話が出ていて、印象に残っているので

シェアします。

「なぜ勝者が校歌を歌うのか?」て。

勝者の球児達は何度も何度も歌い、そのうち観戦している他者までが、

その学校の校歌を覚えていく(笑) そんな仕組み (!?)

そんな必要があるのか? そもそも校歌の本当の意味やメロディは、そこの生徒達の

真に落とし込むべきものであり他者が覚える必要はなくないか?!

なんで何度も何度も歌うのだろう。敗者側が歌うようにしたら良いのに。

負けた後に悔しさや、諸々の想いを込めて最後の校歌と思って、全身全霊で歌えばいい。

そして敗者の校歌を歌う選手達の後ろで、勝者のチーム全員はその校歌をしっかり聴く。

「俺たちの分も頼んだぞ!」「よっしゃ!!」と敗者の想いも背負って、

次の試合に臨む。 それを繰り返し、繰り返しの、決勝戦。

敗けた学校の選手達は悔しさいっぱい涙を浮かべながら校歌を歌い、

それを後ろで聴いた後、最後の最後に、勝者校の選手達がようやく校歌を熱唱する!!

学生らしくて良いと思いませんか?!

そんな様な内容でした。

想像しただけで、胸が熱くなりそうなお話!!て、感動しました。

本当に、こうなったらいいのになーて。

スポーツマンシップ、とは何か。

良くわかっていないのかもしれないけれど、敗者の想いを、勝者は受け止めて

それを次の試合のエネルギーにする。

想いのリレー。相手は自分。同朋意識。これって最後の校歌が流れる頃、

高校野球に参加した全ての関係者もれなく全員の想いは渦のようにひとつに

まとまるのではないかな…。

そんなこと言ってもそうそう変わりませんよねっ。

でも、一人が変わると世界は変わることだってある。て気がする。

自分が変わる、相手が変わる、周りが変わる、みんなが変わる。

そんな渦の始まりに、なりたいな。