ひとの記憶

1月18日(月)

阪神淡路大震災から26年。

1月17日、あの日、あの瞬間の自らのことを振り返りあれこれと想いを巡らせつつ。

神戸のお仲間とSNS上で、お互いのイマについての想いを交わす流れとなり、

記憶・言葉に意識を向けながら過ごした日曜日だった。

(その内容については、いつか改めて皆様にシェアしたいと思います。)

振り返り、想い還り、と言えば、数日前のこと。

私にとっても代々のご先祖様方の産土神でもある、熊本市中央区に建つ、琴平神社

「通称こんぴらさん」の正面入口の写真を、目にしました。

(震災以前の写真です)

久しぶりの再会にドキリ!! と、しました。

(昨年2020年の夏の写真です)

毎年、お詣りさせていただいているのもあり、いつの間にかすっかり現状に

見慣れていた様で、以前の姿を忘れかけている自分に気がつき、驚きました。

そう…。

人ってさ、辛くて泣いて、そこからまた一歩進むために、

時間をかけて踏ん張って、苦しくても立ち上がって、て。

「そんな想い」をしても尚、忘れてゆくのですね。

戦争体験がそうでしょうし、女性はお産の痛みもそうなのかもしれません。

( 今は無痛分娩など他の方法も多くあるのでもちろん「全て」ではありませんが )

コレも、前を向いて進める様にする為の自己防衛反応という名の「計らい」なのかな。

数十年前に誰かに言われて傷ついた言葉は、今でもしつこく記憶に残り、何かの拍子に

突如思い出し苦しくなって、どうしたって忘れないのにな。

忘れるか否か、は傷の「深さ」や「痛さ」によるのだろうか。

確実に言えるのは、ひとの記憶はあてにならない!!

と言うことだろうか (大笑)

すり替え、想い変え、勝手に自分に都合良く上書きしてゆくからなぁ〜。

震災も、戦争も、差別や言葉も、そして今のこの状況も、放った事も受けた事も、

忘れる前に、そこから少しは何か学ばなければなりませんね。

少なくとも私は、自身何度同じことをすれば気が済むのかな、と思っている。苦笑。

カタチを変えても、やはり歴史は繰り返されている(笑)

敵のいない戦争みたいなイマ。

私は今ここで何を学び、何を次に繋げられるのだろう。

なんて想う一枚の写真とのご縁でした。

いつ向き合うの? 「今でしょ、今まさに向き合う時」なのでしょうね。

コレまた然り。

大好きな場所の、懐かしい姿に再会できたことに感謝です!!