囚われの心を解放するということ

久しぶりに母親の声を聴いた。

以前よりは、心なしか、元気になったような声。

心配させまいと、無理していたのかもしれないが、以前蚊の鳴くような声で

とにかく生命力の限界を感じたあの時よりも、元気な声。

心から、ホッとした。

聴くと、またピアノを習い始めたらしい。

その課題曲が、そう私の幼児期になかなかうまく弾けずにいた曲だそうで…(笑)

「あの時 (もう45年程 前のことですが) 怒り、叱って厳しくしたな〜、

あれじゃピアノを好きにはならないよな〜、申し訳ない事をしたな〜、て

思いながら毎日ピアノを弾いているよ。」て…。

苦笑 ハハハ!! このタイミングでそれ〜?! 思わず失笑 ^_^;;

そう、私は英才教育かのようにピアノを幼稚園に行く前から習っていたが、

親も、先生も怒鳴り手を叩かれ、とにかく怒ってばかり。 怖くてピアノが大嫌いだった。

子供の頃から培われ続けた その想いは、自分の中でいつしか犠牲者的感覚になって

長年、囚われ続けてきた。

この度の、エジプト旅を機に、

そんな犠牲者的感覚の思い込みから、自分を解放しようと、決めた矢先。

このタイミングで、あの頃の事を謝ってきた母親の想いとは、

いったいどんなものなのか…。

「そんな風に懺悔の気持ちでピアノ弾いていたら楽しくないでしょ〜(笑)

もっと楽しく、気持ち良く、好きなピアノを弾いて下さいよ〜」と笑い飛ばしおいたが、

数十年の時を経て、こうして次々起こる過去からの解放の様な事象に驚き。

そして蘇りが始まっていると実感した。

そしてなぜか、ここのところのテーマは「今生の課題」について。

うわぁー、面白い!!

決めたら途端に変わり始めた時の流れ。

チャンネルがカチンと音を立てて、変わりました。

遠い遠い昔から、きっと他生の縁。

今こうして 関わりを持ち、いてくれる、周りの人々の課題を、

意識し、共にクリアしていこうとする事。

そこにあたたかい光を灯すことができたら、きっと、いや間違いなく、

幸せだろう。

そう、またひとつ過去の囚われから解放できた気がした1日だった。

気持ちも、想いも、身体も、荷物も、「断捨離の季節」なのでしょうか。

重い荷物は肩から下ろし、身軽に、ふわりふわりと生きたいものですね。

大切な想いを、言葉に出し伝えてくれた母に、感謝。

ありがとうございます!!

あなたの娘で良かった(´∀`*)

と今なら言える。 それが何よりも幸せ。

さて、遅れてやってきた梅雨本番の様な雨の中、今日はナニが

浄化されるのでしょう。楽しみです。

今朝の個人的独り言。最後までお読みくださりありがとうございます。

想い、事象のシンクロ二ティ、が起きます様に。

皆さまどうぞ素敵な一日をお過ごしください。